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更新日:2019年3月1日

浅口市指定文化財・書跡典籍

欽塾塾生肄業程課(きんじゅくじゅくせいいぎょうていか)

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これは、西山拙斎が39才(1773年)の時、郷里の鴨方へ帰り、子弟の教育のために開いた私塾欽塾塾生の勉学規定である。欽塾は、今の浄光寺の入口の往来をはさんで反対側に開塾したが、今は民家が建ち並び、当時の面影はない。塾を欽塾と命名したのは、「欽は欽敬にて身心をつつしみ守るの義なり。其学問の稽古場なる故」というにあった。この規定は、朱子の「鹿書院掲示」をよくかみ砕き、かつ「欽」の内容をよく示している。欽塾は、拙斎の死後、次子と継承され、1886(明治19)年学校令公布頃まで、110年余りも続いた。塾生の教育方針として、拙斎の学問観の実践的展開を知る貴重な資料である。

法華経(ほけきょう)

16法華経 16法華経2

福井山龍城院に伝わる法華経八巻は、白紙に端麗な金泥で書かれている。筆者は、京都の豪商佐野重孝別名:灰屋紹)で、江戸時代初期の町衆の典型的人物であった。重孝は書を父の本阿弥光益に、歌は松永、茶は道安に学んだ。彼の名を有名にしたのは当代一流の教養人であった遊女吉野太夫(2代目)の身受けであった。愛妻吉野はわずか38歳で生涯を閉じた。この法華経八巻は、愛妻吉野太夫の冥福を祈って書かれたもので、江戸時代文化人の書跡として貴重である。

お問い合わせ

教育委員会事務局文化振興課 

〒719-0243岡山県浅口市鴨方町鴨方2244-2

電話番号:0865-44-7055

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