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更新日:2022年8月26日
承和年間(834年から848年)慈覚大師円仁開基のこの寺は、京都清水寺と同じ千手観世音菩薩を本尊としています。火災等により宝永元年(1704年)現在地に移転しました。社蔵には暦応3年(1340年)の銘がある地蔵菩薩像があり、春は桜の名所です。
浅口市金光町占見2391
承和6年(839年)慈覚大師円仁によって開かれました。境内は四季を通して花や紅葉のすばらしい眺めで、「小閑谷」とよばれています。庫裏は塩飽諸島の牛島の豪商丸尾五右衛門の屋敷(塩飽水軍屋敷)の一部を移築したとも伝えられています。
浅口市金光町大谷1055
曹洞宗。本山は総持寺(横浜市)。寺伝によると、源三位頼政の末裔西山宗久を開基とし、のち1412年(応永19年)永祥寺第三世英巌章傑禅師が開山した古刹である。1575年(天正3年)細川通董が鴨山城に拠ると当寺をその菩提寺とし堂宇を整備し、寺領120石を寄進した。その後、水害・山崩れなどがあったが、十二世徳雲の威神力と細川氏遺臣の末裔の協力で、1704年(元禄17年)現在の本堂・庫裏が建てられた。境内には、通董の墓や岡山藩お抱えの庭師弥兵衛が築いた文化年間の庭がある。
浅口市鴨方町鴨方387
伝教大師最澄が入唐の際、立ち寄って開いた天台宗のお寺。次いで慈覚大師が秘密灌頂の道場とした。その後、平家滅亡と運命を共にした安徳天皇の御在所「穴泉の御所」が設けられしばらく滞在したといわれる。寺域が広く、応天門を通り、杉や松がうっそうとした参道を通ると、境内の客殿や多宝塔、庭園が目をひく。特に、さつきの咲くころが美しい。
浅口市鴨方町六条院中4571
天台宗。慈覚大師が入唐求法の旅の帰途、この地に立ち寄り、竜王山山中から沸く泉を「未曾有の清浄水」と愛でて修法の阿伽水として用いたゆかりをもって、後に大師を開祖と仰ぎ、この聖地を阿伽井坊と名付け堂宇を建立したのが始まり。旧寺跡近くには細川下野守通董が竜王山に在城した際、寄進したという円珠院石造大宝塔一基がある。
浅口市鴨方町六条院西890
遥照山の山頂、鴨方・矢掛・金光3町の境界にあり、慈覚大師の開山(平安前期)と伝える。本尊の石仏が南面は薬師如来、北面は釈迦如来という2仏1体の珍しい像であるため「両面薬師」と呼ばれ親しまれている。
浅口市金光町上竹2546付近
承和5年(838年)慈覚大師の開基。天台宗の道場として法灯を伝え、元禄2年(1689年)、宝暦9年(1759年)に再建、大正8年、1996年に改修されました。浅口市内の桜・紅葉の名所です。
浅口市寄島町6881
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