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浅口市指定文化財・彫刻

ページID:0002057 更新日:2024年3月19日更新 印刷ページ表示

木造地蔵菩薩坐像(もくぞうじぞうぼさつざぞう)

8地蔵菩薩坐像

泉勝院におけるこの地蔵菩薩像は、法衣を両肩とも覆い、左足を前に崩した半跏坐尊像である。両手先は火を受けて焼失している。この像は、底板の修理銘から、1340(暦応3)年に作られたことがわかる。底板に造像や修理の経緯が書き加えてある。当初の製作銘文のことや、室町時代の1550(天文19)年の修理銘や江戸時代の1739(元文4)年に西谷山清水寺の実俊が修補した際のことまでを底板に経緯が説明書きしてある。当初の墨書銘によれば、この像に阿闍梨坊という人物が檀色を塗って、檀像彫刻に見立てたと書いてあるなど、伝来、修復歴など資料的にも価値が高い。

木造阿弥陀如来像(もくぞうあみだにょらいぞう)

9木造阿弥陀如来像

大光院におけるこの阿弥陀如来像の様式は、平安時代末期の阿弥陀仏の典型(定朝様式)を保ち、12世紀頃のものと考えられる。姿形が最も標準的な阿弥陀如来像で、温和で優美に表現されている。1993(平成5)年の修理では、江戸時代の補修で製作当初とは異なっていた箇所を元に戻す作業が行われた。左肩を包んで右肩を露出する偏袒右肩の納衣着法を取り、両手先は上品上生印という阿弥陀の定印を結んで台座に結跏趺坐している。

朝倉薬師如来坐像(あさくらやくしにょらいざぞう)

10朝倉薬師如来坐像

彩色された木造物の納衣は偏袒右肩に着け、右手は施無畏、左手は膝に置き、手に薬壺をのせた結跏趺坐である。台座は六角の裳懸座、光背は円形の頭光をめぐらす。作者は在地の仏師と思われる。一部に後補されているが、刀法も手堅く、室町時代後半期の作であるが、平安期の古様式も残るなど極めて貴重な資料である。

木造阿弥陀如来立像(もくぞうあみだにょらいりゅうぞう)

11木造阿弥陀如来立像

龍城院におけるこの阿弥陀如来像は、宗祖伝教大師最澄の高弟慈覚大師(円仁)によって、838(承和5)年に開基した天台宗の寺院龍城院の本尊である。本像は、金箔をまとい現在も美しく端正な姿を保っている。積極的に衆生を救う仏像として崇められて来た貴重な仏像彫刻である。

木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)

12木造阿弥陀如来坐像

龍城院におけるこの阿弥陀如来像は、本尊阿弥陀如来立像に次ぐ仏像であり、貴重な仏像彫刻の一つである。1663(寛文3)年、藩の寺社整理という庶民の心の支えを奪った情勢の中で、難儀を越えて来た時代の生き証人としての由緒ある存在である。

檀像(だんぞう)

13檀像

龍城院におけるこの檀像は、江戸時代末期の作と伝えられ、香木白檀に33躯の金箔観音像が彫刻され、その中央に宗祖伝教大師像、最上段に一光三尊の阿弥陀仏(善光寺様式)が配置されている。檀像33躯は、漆塗りの厨子に安置されており、緻密に彫刻した仏像彫刻として貴重な文化財である。

木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)

14木造阿弥陀如来坐像

1558(永禄元)年、藤澤兵部大夫秀清がこの像を刻ませ、阿弥陀堂の創建とともに納めたものである。岡山藩主池田光政の寺社整理の際廃寺となったが、里人によって一時は隣の大島村に緊急避難を果たして、難をのがれたと伝えられている。市内寄島町に現存する仏像としては最も古く、戦国時代以来里人の心を支えた貴重な仏像である。