本文
竹林寺天文台遺跡(平成27年度)
【調査期間】平成27年9月1日から平成27年12月25日
発掘調査が終了しました
竪穴住居3の西側で見つかった竪穴住居は2軒が切り合っていることがわかりました。
先に建てられた竪穴住居4(緑線)の埋没後に竪穴住居5(青線)が建てられました。いずれも径約8メートルですが、竪穴住居5は竪穴住居4よりも50センチ程度西にずれています。柱穴や溝のほか、住居の中央よりやや東側で土坑(赤線)が検出されました。大きさは径約130センチを測り、埋まっている土には弥生土器や炭が含まれていました。2軒の竪穴住居の年代は、これまでに見つかっている竪穴住居と同じく弥生時代後期頃とみられます。
現地での発掘調査は12月25日で終了しました。今後は実測図、写真や出土遺物の整理作業を行ない、調査成果を報告書にまとめます。
竪穴住居4・5の完掘状況
竪穴住居4・5の残存状況
住居内で検出した土坑
遺構を記録する
遺構の掘り下げの途中や掘り下げ後には、必ず図面作成と写真撮影を行います。
図面作成では、遺構を何ヶ所か計測して正確な大きさや形を記録します。
写真撮影では、事前に清掃をして、遺構の形や埋土の色を表現できるように、カメラの角度や光の加減などを調整します。また、調査区全体の写真を撮影する場合には、遺構の縁に白線を引いて分かりやすくし、広範囲を1枚に収めるために、高所から撮影します。
こうして得られた記録類は、発掘調査後に刊行される報告書に掲載され、遺跡の情報として後世まで残されることとなります。
図面作成
写真撮影
遺構の白線引き作業
高所からの写真撮影
竪穴住居を引き続き調査しています
3軒目となる竪穴住居を調査した結果、1回の建て替えで、径約5メートルから約8メートルに拡張していることが分りました。残りの状況も良いところでは、70センチを測ります。
この調査区では最も標高の低い箇所で、4軒目の竪穴住居が新たに見つかりました。この竪穴住居は、直径8メートル程度の円形をしています。埋まっている土には、弥生土器や炭が含まれています。床面からは、作業に使ったとみられる台石が見つかりました。引き続き、柱穴等を探して調査をしています。
竪穴住居3の完掘状況(東から)
竪穴住居3の残存状況(西から)
4軒目の竪穴住居の検出状況(南西から)
掘り下げ作業(北から)
雲海を見渡すことができます
発掘調査現場は、標高約340メートルにあります。12月中旬に入り、朝晩の冷え込みが厳しくなりました。
竹林寺山の北側の矢掛町内を東方に流走する小田川(一級河川)流域では、気象条件が整うと雲海が発生します。写真は、発掘調査現場西隣の国立天文台岡山天体物理観測所の188センチ反射望遠鏡ドーム付近から撮影しました。
ぜひ一度、浅口市から雲海の景色を楽しんでみてはいかがでしょうか。自然現象ですので、常時見えるとは限りませんので、ご了承ください。濃霧注意報の気象情報をご確認ください。
雲海の発生状況・遠景
雲海の発生状況・近景(正面右の山は猿掛城跡)
3軒目の竪穴住居を調査しています
最高所地点から南西側の斜面地において、3軒目となる竪穴住居の調査を行なっています。12月12日の現地説明会では調査中であったため、公開できなかった遺構になります。
この竪穴住居は、直径8メートル程度の円形をしています。埋まっている土は、焼けた土や炭が多く含まれています。竪穴住居の床面からは、炭になった木片も出土しています。
また、竹林寺天文台遺跡では、2例目となる土製勾玉が出土しました。その他の遺物は、弥生土器の甕(かめ)、高杯(たかつき)やサヌカイトの破片が出土しています。現在は、柱穴や溝を探して調査をしています。
この竪穴住居の年代は、他の竪穴住居と同じく弥生時代後期の頃とみられます。
竪穴住居の検出状況(南東から)
発掘作業の様子(北東から)
土製勾玉の出土状況(西から)
出土したての土製勾玉
現地説明会を開催しました
12月12日(土曜日)に、これまでの発掘調査によって得られた成果を皆様に知っていただくために、現地説明会を開催いたしました。当日は天候に恵まれ、地元の方をはじめ市内外から約100人の方にご来場いただきました。
説明会では、調査地点より30メートル高い国立天文台岡山天体物理観測所が所在する西側丘陵から、遠景の調査地点や高地性集落の醍醐味である360度のパノラマを体験していただきました。当日は瀬戸内海は霞み、四国側は見えにくい状態にありましたが、岡山市街地は見ることでき、参加者の方はその眺望に大変驚かれていました。
調査地点では、弥生時代の竪穴住居、掘立柱建物、溝や柱穴について見学いただきました。径約7mを測る円形の竪穴住居では、建築方法や構造などについて間近で説明しました。
遺物の説明では、出土した弥生土器、土製勾玉、石錘、サヌカイト片、平安時代の土師器や須恵器等を展示し、当時の人々の暮らしについて説明を行ないました。
休日にも関わらず、多くの方にご参加いただき、ありがとうございました。
遺跡の詳細な成果につきましては、下記の現地説明会資料をご覧ください。
発掘調査現場(西から)
掘立柱建物の説明(南から)
竪穴住居の説明(北西から)
出土遺物の見学
2軒目の竪穴住居が見つかりました
現在、最高所地点から西側の緩斜面部分を調査しています。この場所において、今回の調査では2軒目となる竪穴住居が新たに見つかりました。
竪穴住居は、直径約7m程度の円形をしています。炭を多く含む土を掘り下げていくと、住居の床面からは数条の溝や複数の柱穴を検出しました。柱穴は深いもので、床面から約60cm掘り下げて、据え付けていたことが分かりました。この柱穴からは、弥生土器の甕(かめ)やサヌカイトの破片が出土しています。
竪穴住居の年代は、出土した弥生土器の形から弥生時代後期(約1,900年前)の頃とみられます。
天文台と竪穴住居(南東から)
溝や柱穴の検出状況(南から)
竪穴住居の柱穴(南から)
弥生土器の出土状況
現地説明会の開催について
竹林寺天文台遺跡で、発掘調査の成果を公開する現地説明会次のとおり開催いたします。
日時
平成27年12月12日(土曜日)10時30分~12時
集合場所
岡山天文博物館駐車場(浅口市鴨方町本庄3027-5)
対象
市内外問わずどなたでも
費用
参加費無料
高地性集落の自然環境
11月27日の岡山県内は冬型の気圧配置が強まり、今年度一番の冷え込みとなりました。標高約340mにある当遺跡でも朝現場に出勤すると、発掘調査現場一面に雪がうっすらと積雪が見られました。
また、調査区周辺に謎の土を掘り返した痕跡が、数多く見られることに気付きました。発掘作業員の方から、イノシシがエサを探した証拠だと教えていただきました。どうも夜な夜な発掘調査現場に出現し、エサとなるミミズを探しているようです。発掘調査で土を掘り下げる際にも、大きなミミズを度々目にすることがありました。
今のところ、調査区内の被害はありません。
積雪の様子
謎の掘削痕跡(矢印)
イノシシのエサ探し跡
竪穴住居が見つかりました
発掘調査では、弥生時代の遺構を引き続き調査しています。最高所地点から南東側の緩斜面において、竪穴住居1軒が見つかりました。当遺跡では、3軒目となります。見つかった竪穴住居は全体の4分の1程度で、残りの部分は調査区外となっています。
竪穴住居は平面形が円形であり、地山の岩盤を削って建築していることが分かりました。竪穴住居の調査では、十字型のベルトを設定して、土の埋まり方を観察します。この土層断面を写真や実測で記録します。
調査を進めていくと、床面から柱穴や溝が見つかっています。そのうち1本の柱穴から弥生土器が出土しました。
見つかった竪穴住居(緑色の線内)
掘り下げ作業の様子
調査の状況(東から)
遺跡からの眺め
竹林寺天文台遺跡は標高約340~360mに立地しており、気象条件が整えば、非常に広い範囲を見渡すことができます。
東には中国山地の南端にあたる鬼城山(古代山城の鬼ノ城)や、岡山市街地、北には麓の矢掛町や西側に向けて広がる吉備高原、南には浅口市域や瀬戸内海、西には備後灘や燧(ひうち)灘を見ることができます。瀬戸内海南岸では、サヌカイトの産出地として著名な金山(かなやま)、丸亀平野、弥生時代中期後半の高地性集落で著名な紫雲出山遺跡(しうでやまいせき)の位置する荘内半島など、弥生時代に盛んな活動のあった地域も視認することができます。
このように各地域を遠望できるという景観的な好条件は、日常生活を営む上では不便な山上に集落を形成する動機のひとつであったと考えられます。
岡山市街地を望む(矢印)
鬼城山を望む(矢印)
南側を望む(矢印が紫雲出山遺跡)
遺跡は雲の中
発掘調査を行なっている箇所の谷を挟んだ西隣には、標高約370mの国立天文台岡山天体物理観測所が所在する丘陵があります。過去の調査により、この丘陵でも弥生時代の集落が営まれていたことが分かっています。
晴れた日には、調査区から国立天文台の188cm反射望遠鏡のドームがよく見えます。しかし、発掘調査は、晴天の日ばかりではありません。雨の日になると、遺跡は雲に包まれ、ドームが姿を消してしまうこともあります。
天候によって視界がまったく変わってしまうのは、高所の遺跡ならではといえます。
晴れの日の遺跡(矢印がドーム)
悪天候の状況
弥生土器が出土しました
発掘調査では大量の土が出るため、ベルトコンベアを使い作業を進めていきます。
最高所地点の調査では、多くの土坑や柱穴が見つかっています。径が50cmを測る柱穴を掘りさげたところ、弥生土器の甕が出土しました。この甕の外面を観察すると、煤(すす)が付着していました。このため、煮炊きに使用されたと土器と考えられます。
この柱穴の周辺には、数多くの柱穴が見つかっており、掘立柱建物を構成する可能性があります。
ベルトコンベアを使用した作業の様子
出土した弥生土器の甕(矢印)
職場体験を受け入れました
平成27年10月22日(木曜日)午前に浅口市立鴨方中学校の2年生3名が職場体験に訪れました。職場体験では、教育委員会事務局が行なっている業務のうち文化財保護の「発掘調査」を体験していただきました。
中学生は仕事内容と遺跡の説明を聞いた後に、発掘調査体験を行ないました。普段あまり手にすることのない道具を使い、はじめは戸惑っていましたが、作業員さんに指導を受けるとコツをつかんで上手に掘り下げや遺構検出を経験しました。また、出土した弥生土器に触れた際には大変興味深そうにしていました。
職場体験を通じて、郷土に眠る文化財に触れる良い機会だったと思います。
調査員からの説明
掘り下げ作業の様子
遺構を検出作業の様子
岩を掘る
9月の調査開始から一月が過ぎました。遺跡の最高所周辺で調査を行なっていますが、土坑や柱穴の多くの遺構を検出することができました。
当遺跡のある竹林寺山周辺は、地山が流紋岩地帯であります。そのため、調査区内にも大きな岩が露出しています。この露岩以外にも、風化した岩の塊もあることが掘り下げて判明しました。土坑の中には、岩の一部を削って掘っているものもあり、弥生時代の人々の苦労を垣間見ることができます。
調査風景(北西から)
露岩の検出状況
削岩して掘られた土坑
遺構を探して
現在は、東側で表面を覆っている土の掘り下げを終え、地面をきれいにして遺構を探しています。
掘り下げには、スコップや唐鍬などの大きな道具を使っています。遺構検出では、ガリ(草削り)という小型の道具に持ち替えて作業を行います。ガリで地面を削って表面の土の汚れを取り除き、土の色や質の違いを見極めていきます。遺構検出の結果、赤い地山面に薄黄色の土の埋まった遺構が、いくつか見つかっています。
また、表面を覆っている土の掘り下げでは、須恵器や土師器などの破片が出土しています。今回見つかった遺構にも、古代から中世頃のものが含まれていると想定されます。
遺構検出の様子
見つかった遺構(矢印)
竹林寺天文台遺跡の発掘調査が始まりました。
浅口市教育委員会では、京都大学の新天体観測施設建設に伴い9月1日から竹林寺天文台遺跡の発掘調査を行っています。
竹林寺天文台遺跡は、浅口市と矢掛町の境界である竹林寺山の標高約340メートルの尾根上に立地しています。竹林寺山頂からは麓の浅口市や矢掛町はもとより、遠くは総社市の古代山城の鬼ノ城、岡山市街地、天候の良い時には瀬戸内海や香川県丸亀平野まで望むことができます。このような眺望のすぐれた場所に、弥生時代中期から後期(約2100年~約1800年前)にかけての集落が営まれていたことがわかっています。
現在は、表面を覆っている土を取り除き、その下にある昔の人々の残した痕跡(遺構)を調査しているところです。現在のところ弥生時代の土坑や中世の柱穴などが見つかっています。
発掘調査は11月末まで行う予定ですので、今後調査でわかったことを、このホームページ上で速報としてお知らせしていきます。
竹林天文台遺跡の遠景(南から)
重機による表土掘削
掘り下げ作業の様子
発掘調査現場の注意事項
- 発掘調査現場への入場は、調査員の許可を得てください。
- 発掘調査の休業日には、危険ですので現場に立ち入らないでください。
- 発掘調査現場から土器などの遺物を持ち帰らないでください。