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2008年6月調査報告

ページID:0002070 更新日:2024年3月19日更新 印刷ページ表示

2008年6月3日報告

竹林寺天文台遺跡では、中世の遺構の調査を終了し、現在は弥生時代の遺構を検出しています。遺跡の北東部分は比較的平坦な地形であり、そこから竪穴住居が1軒見つかりました。まだ検出の途中であり、住居の半分を見つけているところです[写真1]。住居からは、高杯などの土器や石錐(いしきり)が出土しました。高杯は大形のもので、赤く塗られています[写真3]。
また、弥生時代の包含層からは、石鏃(せきぞく)や石錘(せきすい)などの石器や弥生時代後期(約1,900年前)の土器が出土しています[写真4]。石鏃は長さが3.5cmもあるもので、2006年に調査を行った森山遺跡で出土した石鏃の約1.5倍の大きさです。網の重りと考えられている石錘は地頭上の段林(だんばやし)遺跡からも出土しており、浅口市内では2例目となります。

竪穴住居検出状況(北東から)。緑の線が竪穴住居。の画像[写真1]竪穴住居検出状況(北東から)。緑の線が竪穴住居。
発掘調査風景の画像[写真2]発掘調査風景
竪穴住居から出土した遺物の画像[写真3]竪穴住居から出土した遺物
弥生時代の石器の画像[写真4]弥生時代の石器

2008年6月12日報告

竹林寺天文台遺跡では、現在、弥生時代の竪穴住居や溝などの遺構を検出するため、中世の人々が生活していた面を掘り下げています。この地面の中には弥生時代の様々な土器が含まれていました。
調査区の北西隅からは高杯が見つかりました[写真1と2]。長いつまみ部をもち、全体を赤色で塗り、細い線や小さな孔(あな)をあけて飾っています。オマツリなどの何か特別なときに使ったものでしょうか。また、調査区の西側中央付近からは、口縁部の直径が20cmもある大形の甕が出土しました[写真3]。
この他にも作りかけの石包丁や敲石(たたきいし)といった生活道具も見つかっています[写真4]。このように、土器や石器がたくさん見つかることから、弥生時代の人々が竹林寺山のような高い場所で生活していたことが徐々にわかりはじめてきました。

高杯出土状況(北東から)の画像[写真1]高杯出土状況(北東から)
高杯の画像[写真2]高杯
甕の画像[写真3]甕
石器の画像[写真4]石器

2008年6月13日報告

竹林寺天文台遺跡では、現在は弥生時代の竪穴住居や溝などの遺構を検出しています。検出作業の途中ですが、新たに調査区の西側中央部で竪穴住居が見つかりました[写真1と2]。この竪穴住居は規模が直径約8mもあり、大形のものであると言えます。この住居からは敲石(たたきいし)などの石器や弥生土器が出土しています。また、調査地点は西から東へと向かって地形が高くなっているのですが、竪穴住居を造るために、弥生時代の人々が東側の地面を削り、意図的に平坦な場所を造り出していることもわかりつつあります。さらに、掘立柱(ほったてばしら)建物の柱穴も見つかっています[写真3]。
前々回の発掘調査速報3で報告した竪穴住居とあわせると、これまでのところ、2軒の竪穴住居と1棟の掘立柱建物が見つかっていることになります。さらに石鏃(せきぞく)や石錐(いしきり)、石錘(せきすい)などの石器や弥生土器がたくさん出土していることからも、この地で人々が生活を営んでいたことがわかります。標高が約340mという高い山の上で集落が営まれていることから、竹林寺天文台遺跡は高地性集落であると言えるでしょう。

今回見つかった竪穴住居(北から)。緑の線が住居。の画像[写真1]今回見つかった竪穴住居(北から)。緑の線が住居。
竪穴住居。人が入った風景(南東から)。緑の線が住居。の画像[写真2]竪穴住居。人が入った風景(南東から)。緑の線が住居。
掘立柱建物(西から)。緑の線が柱穴。赤の線が建物。の画像[写真3]掘立柱建物(西から)。緑の線が柱穴。赤の線が建物。
作業風景(東から)の画像[写真4]作業風景(東から)

2008年6月20日報告

竹林寺天文台遺跡では、現在、弥生時代の竪穴住居や掘立柱建物などの調査を行っています。雨が降ることが多いので、バケツを使った排水作業も大事な作業のひとつです。
調査区の北東部で、新たに掘立柱建物が1棟見つかりました[写真1]。1間×1間の正方形の建物で、柱の間の距離は約280cmです。柱穴は円形のもので、直径が60~80cmあり、弥生時代の掘立柱建物の柱穴としては大きなものになります。柱穴の規模が大きなことから、当時建てられていた建物も大きなものであったのではないかと考えています。前回速報で報告した掘立柱建物[写真2]は調査区の外へと続いているため、規模は不明ですが、現状で2間×1間以上の建物です。こちらの柱穴は直径が20cm程度のもので、今回見つかった建物が大きなものであることがよくわかります。現在のところ、2棟の掘立柱建物が見つかったことになります。

今回見つかった掘立柱建物(北から)。人がいるところが柱。の画像[写真1]今回見つかった掘立柱建物(北から)。人がいるところが柱。
前回報告した掘立柱建物(北から)。人がいるところが柱穴。の画像[写真2]前回報告した掘立柱建物(北から)。人がいるところが柱穴。
北東部の竪穴住居。調査風景(北から)。の画像[写真3]北東部の竪穴住居。調査風景(北から)。
排水作業の様子。バケツリレーで水をかき出しています。の画像[写真3]排水作業の様子。バケツリレーで水をかき出しています。

2008年6月27日報告

浅口市教育委員会では、市内中学校の職場体験を受け入れました。教育委員会の仕事を3日間体験してもらい、半日間は文化財保護に関する仕事をしてもらいました。
本来は屋外にて発掘調査を体験する予定でしたが、当日は、あいにくの空模様で、遺跡での発掘調査の体験はできませんでした。そのため、中央公民館において、屋内での整理作業を体験してもらいました。
最初は土器の洗浄作業です。浅口市内出土の小皿を刷毛で丁寧に洗いました。最初はおそるおそるでしたが、徐々に洗うペースも速くなり、短時間でたくさんの小皿を洗ってもらいました。次に土器への注記の作業をしてもらいました。竹林寺天文台遺跡の発掘調査で出土した土器に遺跡名・出土日などを書く作業で、土器に小さな字で書くために、かなり苦戦していました。中学生にとって、注記の作業がもっとも難しかったみたいです。実物の遺物に初めて触れていただき、地元の歴史に興味をもってもらえたのではないかと思います。

整理作業の説明の画像[写真1]整理作業の説明
土器の洗浄の画像[写真2]土器の洗浄
土器への注記の画像[写真3]土器への注記