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寺院

ページID:0002257 更新日:2024年3月19日更新 印刷ページ表示

泉勝院

泉勝院の画像

承和年間(834年から848年)慈覚大師円仁の開基で建立されたこの寺は、京都清水寺と同じ千手観世音菩薩を本尊としています。火災等により宝永元年(1704年)現在地に移転しました。社蔵には暦応3年(1340年)の銘がある地蔵菩薩像があり、市の文化財に指定されています。また、春は桜の名所です。

住所

浅口市金光町占見2391

寂光院

寂光院の画像

承和6年(839年)慈覚大師円仁によって開かれました。境内は四季を通して花や紅葉のすばらしい眺めで、備前閑谷に似ているところから「小閑谷」と呼ばれています。(市指定名勝)また、庫裏は塩飽諸島牛島の豪商丸尾五右衛門の屋敷(塩飽水軍屋敷)の一部を移築したとも伝えられています。

住所

浅口市金光町大谷1055

長川寺(ちょうせんじ)

長川寺

曹洞宗の寺で、本山は總持寺(横浜市)です。寺伝によると、源頼政の末裔西山宗久が梵刹として建立し、その後1412年(応永19年)總持寺七十三世英巌章傑禅師が禅寺に改めた古刹です。1575年(天正3年)細川通董が鴨山城に拠ると、その菩提寺として堂宇を整備し、寺領120石を寄進しました。その後、水害・山崩れなどがありましたが、十二世徳雲重憲和尚の威神力と細川氏遺臣の末裔の協力で、1704年(元禄17年)現在の本堂が造営されました。境内には、通董の墓や岡山藩お抱えの庭師弥兵衛が築いた文化年間の庭があります。

住所

浅口市鴨方町鴨方387

明王院(みょうおういん)

明王院

伝教大師最澄が入唐の際、立ち寄って開いた天台宗の寺です。次いで、慈覚大師円仁が秘密灌頂の道場を開創しました。その後、安徳天皇御西幸の際には御在所「穴泉の御所」が設けられ、しばらく滞在したといわれています。所有する仏涅槃像図は、県重要文化財に指定されています。寺域が広く、応天門を通り、杉や松がうっそうとした参道を通ると、境内の客殿や多宝塔、庭園が目をひきます。特に、ツツジや紅葉の頃は美しく、カメラマンが集います。

住所

浅口市鴨方町六条院中4571

円珠院(えんじゅいん)

円珠院

慈覚大師円仁が中国唐からの帰りにこの地に立ち寄り、竜王山山中から沸く泉を「未曾有の清浄水」と愛で、修法の閼伽水として用いたというゆかりから、後に大師を開祖と仰ぎ、この聖地を閼伽井坊と名付け堂宇を建立したのが始まりとされます。境内から少し上がった山林には、竜王山に在城した細川下野守通董が、供養のために建てた円珠院石造大宝塔一基(市指定文化財)があります。

住所

浅口市鴨方町六条院西890

両面薬師堂(りょうめんやくしどう)

両面薬師堂

遥照山の山頂、浅口市と矢掛町の境界にあり、慈覚大師円仁の開山(平安前期)と伝えられています。本尊の石仏は、南面は薬師如来、北面は釈迦如来という二仏一体の珍しい像で、「両面薬師」と呼ばれ親しまれています。準国分寺として寺領一千束を支給され、曜星(遥照)千坊といわれたほど隆盛を極めたが、乱世とともに衰微していきました

住所

浅口市金光町上竹2546付近

龍城院

龍城院の画像

承和5年(838年)慈覚大師円仁の開基で建立されました。幾度かの火災によって焼失されましたが、元禄2年(1689年)、宝暦9年(1759年)に塩飽大工の手により再建、大正8年、平成5年に改修されました。本尊阿弥陀如来立像や法華経八巻などが、市の文化財に指定されています。また、浅口市内の桜・紅葉の名所です。

住所

浅口市寄島町6881